合唱コンクール 雑感 その2 感心と感動(案外根に持つタイプ)

中国合唱コンクールでは、会場で終わったばかりの演奏をCD-Rに焼いて販売しています。親バカチームの一員なので当然買って帰るわけですが、今回は中学、大学、一般と3枚を買って帰りました。今回購入した3枚を順番に聴きながら今回のコンクールのことを思い出すにつけ、一番腹が立つのは「感心する演奏より感動する演奏を」という審査員の講評。その演奏で「感動するか否か」はまさに人それぞれ。そこに客観性を持たせることができるかと言われると疑問符がつきます。技術的に難しい曲を歌うことについて否定的な意見をその審査員は語っていたが、その難曲を仕上げてくるのにどれだけの時間、子供たちが努力してきたかを想像すれば、その子供たちの努力を何故想像することができないのか、そしてそれを評価できないのか、なんてことを思っていました。それが想像できれば、彼の言う「感心する」演奏をするために払ってきた努力に対して必ず「感動する」と思うんだけれど。そういう意味では彼の審査員としての感性とか感受性とか想像力に対して大きな疑問を持ってしまいます。
合唱の審査は本当に難しいものなのだと思います。技術面(音程、リズム、ハーモニー、言葉としての発音、発声の美しさなど)の評価ポイントが何がその人の専門分野であるかによって、その重み付けが変化したりするのはある程度しょうがない部分があると思います。なのでその順位付けに個人差がある程度出てきても致し方ないということは思いますが、審査員という客観的な評価をすべき立場の人間が「感動」という極めて主観的な要素を持ちだしてきて順位に反映させているとするのはいかがなものか。それがコンサートを聴いているのであれば、そのような細かな技術面など無視して純粋に「感動」していれば良いし、コンクールでも単なる聴衆は「感動」でも「感心」でもしていれば良いけれど、そこに「審査」というものを持ち込む限りにおいて、「感動」を要求するのは自分の価値観の押し付けではないか
この「感心と感動」、4年間ずっと頭の中にあり、モヤモヤしていたものですが、今回4年ぶりに同じ講評を聴いて、自分の中での違和感の原因が一つ見えてきました。執念深く、根に持つタイプの保護者の戯言でした・・・