抑制は患者さんのため?、それとも自分のため?

基本的に日本の医療機関では「身体的拘束は、当該患者の生命を保護すること及び重大な身体損傷を防ぐ」ために行われることとなっています。しかし、このところ、この制限を拡大解釈しすぎているのではないかと思わざるを得ないことが続いています。


身体拘束は、旧厚生省の告示により、以下のように定義されています。

① 徘徊しないように、車いすやいす、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る。
② 転落しないように、ベッドに体幹や四肢をひも等で縛る。
③ 自分で降りられないように、ベッドを柵(サイドレール)で囲む。
④ 点滴・経管栄養等のチューブを抜かないように、四肢をひも等で縛る。
⑤ 点滴・経管栄養等のチューブを抜かないように、又は皮膚をかきむしらないように、手指の機能を制限するミトン型の手袋等をつける。
車いすやいすからずり落ちたり、立ち上がったりしないようにY字型抑制帯や腰ベルト、車いすテー ブルをつける。
⑦ 立ち上がる能力のある人の立ち上がりを妨げるような椅子を使用する。
⑧ 脱衣やおむつはずしを制限するために、介護衣(つなぎ服)を着せる。
⑨ 他人への迷惑行為を防ぐために、ベッドなどに体幹や四肢をひも等で縛る。
⑩ 行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服用させる。
⑪ 自分の意思で開けることのできない居室等に隔離する。

リハビリテーション患者さんのなかには嚥下障害のために経口からの栄養摂取が十分に行えないために経管栄養となっている患者さんがおられます。某大学病院から転院してこられる経管栄養患者さんがほぼ例外なく非麻痺側上肢にミトンをはめてやってこられます。さらには麻痺側の動きがすこしでも出ていたりすると両手ミトンもザラですし、家族さんの話では両手がベッドに紐で固定されていたとかおっしゃられます。1日のうちで、その抑制が外してもらえるのはリハビリテーションの20分間のみ。残りの23時間40分はずっと縛り付けられている状態が1ヶ月続いていたりするのです。

うちの病院では、方針として身体拘束を行わないこととしています。ですのでミトンも無ければ、抑制用のヒモも置いてありません。そのため、うちに来た当日から、身体拘束は全て除去されます(ものがないのでやりようがない)。こういった身体拘束はやむを得ない場合にのみ行われ、それ以外の代替手段がない患者さんにのみ行われるべき手段なはずです。現実にはチューブが留置されているほとんどの患者で大学病院入院期間中、身体拘束が実施されたままとなっているのですが、これらの患者さんがうちの病院に転院してこられてこれらの抑制が無くてもなんの問題もありません。経管栄養チューブを自己抜去するのはそのまま留置していることが根本の原因ですから、それを留置しないで良い方法にすればよいだけです。

あるとき、患者さんの家族に「この病院はなぜ手を縛らないんだ!!」と怒られました。大学ではきちんと縛り付けてくれていて安全だったのにこの病院は危険きわまりないそうです。あー、こういうふうに家族まで洗脳されてしまうんだ。と、ある意味その力に脱帽モノでした。
ある患者さんは非麻痺側のすべての指が伸展位で拘縮していました。PIP関節もMP関節も30度ほどの屈曲が限界です。この状態にして「あとはリハビリよろしく・・・」と言えるその厚かましさに心が震えました。

患者さんの安全を守るという本来の目的を外れ、面倒な仕事を増やさない、インシデントレポートを書くのが面倒とかそういうことが主たるモチベーションとなって安易な抑制に走っていないか(ひどいヤツになるとこういったことさえも考えること無く、「他の患者さんもしているから良いのでは?」みたいな首から上はまったく使っていない仕事をしていて自分たちのやっていることに問題があることさえ認識できていない)と感じてしまう今日この頃、専門看護師でも、認定看護師でもなんでも好きなようにやればよいと思いますが、そのまえに「普通の看護師」のするべき仕事は、こういう病棟の医療、看護の無策で作られている廃用や拘縮をなくすことではないでしょうか。「専門」とか「認定」とかそういうのはこういった本質ををきっちりやってからにしてよ・・・と切に思う今日この頃でした。