その2

昨日のエントリーの続き。。。
医者の仕事が病気を治すことであった時代は去りつつあり、わが国では出生数よりも死亡数の方が多い時代がすでに訪れています。
加齢に伴う体の衰え、それに伴う生命維持機能の低下はどうしようも無いものも存在しているのは間違いありません。そんな中で仕事をしていく医者に求められるのは、きちんと「死」と向き合うことだったり、本人と家族に「死」と向き合う方法を説明していくことではないかと感じています。
回復期リハの医者として仕事をするようになりトータルで11年を超え、死亡診断書を書くことがほとんどなくなってしまいましたが、それまでの内科医として仕事をしていた頃や救急外来(何故か僕が当直するとCPAがやってくるという話が。。。)で普通の人達よりも多くの死に立ち会ってきたことは間違いありません。逆にいうと普通の人々の「死」に対する感覚と自分の「死」に対する感覚の間にギャップができているかもしれません。
しかし、ただ「生きている」、「生かされている」ような状態の人々も多く経験しているのもまたもう一つの真実です。
医療の水準を平均寿命や疾患の5年生存率で評価するだけではもうダメな時代がきているのではないかと思っています。(もっともその医療統計さえまともな集計ができているのか疑問なところは沢山ありますが)
「こうすれば長生きできる」、「こうしなければ命の保証は出来ない」という説明は医師としての自分の判断、価値観を相手に押し付けているだけのように感じてしまいます。現代の高齢化、多死化時代に従来からの生存期間至上主義の価値観の押し付けでない説明をすることが医者にも求められているのではないかと考えています。