医療費削減の話

診療報酬改定の話も大詰めになってきています。来週には総枠でのプラスかマイナスかなどが決定する?というところまでやってきています。しかし、この医療にかかる費用をどこから捻出するのか?ということについての論議はきちんと行われていません。消費税の増税でも無駄遣いを減らすでもなんでも良いのですが、なんの方針も出さずにただ漫然と時だけが過ぎていこうとしています。
医療は日進月歩、かつてはまったく助けることの出来なかった病にも治療法が開発され、再生医療も含めた高度医療の提供が可能となってきています。リハビリテーションの分野でも、私が研修医の頃であれば満足なリハビリも受けずに寝たきりとなっていった人たちも機能の回復と環境整備を行えるようになり、お嫁さんの犠牲の上に成り立っていた在宅介護も施設の整備や各種介護保険サービスの提供がなされるようになりました。
今後急速に進む高齢化を止めることは、強烈な移民政策でも取らない限り不可能ですし(今から少子化対策をしても、そもそも子供を生むことのできる世代が減少している状況ですから手遅れ)、今後の高齢化の進行は既定の事実というべきものです。
とすると、医療費を削減するには二つの方法しかありません。
何らかのモノやサービスにかかる費用は、単純化すれば、その「単価」X「提供される量」によって決定されます。現在論議されている診療報酬はこの「単価」の部分の論議。安住とかいう「ウソつき」政治家やそのバックにいる「財務省」とかいうなんのサービスも提供していないお役所は、偉そうにこの「単価」を下げろと言っています。別に下げても構いませんが、それによって起こる各種の問題についてもこの「バカたち」が全て責任をとるつもりがあるのなら結構ですが、そういう気持ちは微塵も感じさせない所が流石と言うかなんというか・・・彼らの言うとおりに下げていった金額でも経営が成り立つ分野以外からは撤退が相次ぐか、それでも成立するように公的病院への「補助金」という名の税金が投入されることになるハズ。その結果「贅肉だらけの公立病院」が赤字を垂れ流し、違法労働状態の医師によって運営されることとなるでしょう。国民全体の負担としては「医療費」という費目は下がってもそれ以外に支出される「補助金」や「赤字補填」が減らなければなんの意味もありません。この安住とかいうヤツがバカだと思う最大のところは実はこの部分。前回の医療費改定で「黒字」となったと彼が主張する多くの公立病院には、多くの税金が投入されています。医療を成り立たせるために(無駄な贅沢な建物によって潤っているのは建設業者さんか・・・)つぎ込まれた補助金だけでは足りずにその不足分は税金投入によってごまかされてきていました。「黒字」と主張する大半の効率病院が医業収入(医療を行うことで稼いだお金)よりも医業支出(医療を行うのに必要だったお金)のほうがずっと多いのです。同じだけの医療を提供するのにかかる費用が一定である場合、医療費を削減した分が「赤字」となり、「税金」が投入されているというこの事実が分からない「バカ」が「財務大臣」をしているというのがこの国の最大の悲劇かもしれません。

 医療費削減のもう一つの手段は「提供する量」の方を抑制する方法。日本の医療の特長である「フリーアクセス」は、利用する側にとってのメリットはありますが、提供する側にとってはいろんな意味で無理がかかります。1日1000人以上の外来数を捌く大学病院なんていうものがそのあたりにゴロゴロしているのもこのため。長時間待って数分しか診てもらえないと文句を言っている人々自身が、その原因を作っているのです。その「提供する量」の方を制限する方法は、国民にとって短期的に「不利益」と映るため、「選挙で勝つことが党の最大の目的」として成立している現在の与党さんにとってはこんな「朝三暮四」的な国民とそれを煽るメディアの下で「不人気政策」を掲げることができないのでしょう。

 以前から問題になっている、この「フリーアクセス」による受診の膨張のコントロール認知症患者さんになんのメリットも見いだせない状況で行われる胃瘻造設や経管栄養患者であふれる老人施設。これらの根本部分は「医療技術」としての「医学」の問題ではなく、生死観を含めた「社会学」的な問題ではないかと考えます。とりあえず「今のままで、結論は先送り」「また来年以降に・・・」ということが繰り返されてきました。これからの医療費の削減にはおそらく医療を受ける側に対する負担方法として「保険料値上げ」だけでなく「受けられるサービスの制限」という形での負担が必須になるということをもっと明確に示さなければならないと思う今日この頃なのでした。