福島の大野病院の裁判

 ロハスメディカルブログさんに今日(1/25)の裁判でのお亡くなりになられた患者さんのご家族の意見陳述がアップされていました。ご家族の方の悲しみ、落胆、怒りが伝わってきました。しかし、このことについて刑事事件として立件しなければならないとはやはり思えません。人が生きると言うことの大変さは、死にそうな場面に接すれば接するほど実感されます。なぜ助かったのか分からないほどの状況から助かってこられた患者さんもいらっしゃいましたし、なんでこんなにあっけなく・・・と思えるほど簡単に亡くなってしまったこともあります。
 このところ、医者や病院をいろいろ責めるのが流行っています。結果として亡くなったという事実を受け止めることはとても難しいことで、なにか自分以外のものに原因を求めたくなるわけです。結果論で話をするのは簡単です。グーを出せば勝てたのにパーを出したことが罪だと言われているようなものですから。無茶苦茶読みのするどい人は、相手の表情とか手の筋肉の動きとかで分かるのかもしれませんが、普通無理です。時速160kmの速球を投げれば打たれなかったと責められるピッチャーみたい。大リーグにはいるかもしれませんが、その辺りのチームにはいないでしょ?草野球の強豪チームも松坂くんが来れば打たれなかったのに・・・最善の努力をしていない・・・とはならないはずです。
 真相究明したい、という気持ちは否定しません。他の医療裁判にも言えることですが、彼等が求めているのは「真相」ではなく、自分たちに都合の良い「説明」なのかな?と思います。真の原因を探り、今後に生かすために必要なことは「裁判」という「ケンカ」の中では不可能です。この裁判の冒頭でも、検察側は自分たちに都合の悪い産婦人科の専門書の証拠申請をすべて「拒否」しています。本当に真実が知りたいのであれば、そういった参考文献を全てあたっていくべきです。