チーム医療とはいうけれど

 チーム医療という言葉が花盛りである(本当?という疑問はとりあえずおいておく)。このチーム医療は医師を頂点としたピラミッド体制でなく、水平的に医療関連職種が共同で行う医療のことらしい。僕が院内で関わっている、リハビリ病棟、NST(栄養管理チーム)、褥瘡対策なんてものが、このチーム医療として有名だったりするのだが、本当に「チーム」として患者さん(あえて患者様とは言わない)をよくするために共同で仕事が出来ているのだろうか?
 うちの病棟では毎日カンファレンスが開かれている。ベッドネームには主治医、受け持ち看護師に加え、担当療法士名もかかれている。病棟の回診にはケースワーカー、病棟担当薬剤師の参加もある。一緒に患者さんをよくするための方法として重要だし、それまでのやり方での問題点を解決するための方策としてこれまで相談して作り上げてきたシステムだ。
 昨日、ある患者さんが小さな車いすに座っていた。年齢の割に大柄で明らかに体に合っていない。かつてリハビリテーション病棟を立ち上げた頃、患者さんはそのあたりにある車いすを適当にあてがわれて使っていた。車いすという名前の患者運搬機という意識だった。病棟の車いすに全部番号を振り、高さの違う車いすを何種類か購入し、少しでも患者さんの体格に合わせる努力をしようと考えていた(筈だった)。この患者さんが食事のときに利用する机もどう考えても体格に合った高さになっていない。これもわざわざ高さを調整可能な机を用意しているし、サイズも様々用意されている。
 こういった基本的な周辺環境を調整するために病棟転入時にイニシャルカンファレンスを始めた筈であった。全ての転入患者のイニシャルカンファレンスは今でも行われているが、この患者さんのカンファレンスで何が行われたのか?さらに、なぜ毎日食堂で食事を食べておられるこの患者さんの姿を見て誰も疑問を抱かなかったのだろうか?あるいは疑問を持ったのならそれを解決しようと思わなかったのか?
 チーム医療といいながら誰も責任をとらず、誰も意見を交わさず、ただ自分の仕事の分だけをこなそうとしていないか?それは、システムが確立し、ルーチンワークとして組み込まれ、その本質が消えてしまい、形だけが残り、無駄な時間を過ごしていないか?チームはサメのようなもの。泳ぎ続け、前進し続けなければ呼吸が出来ず生き続けることは出来ないのではないか?と思った一日でした。