モリグチさんという人の経歴を見ていて思った率直なギモン。

今、ある意味山中先生を超える時の人となってしまった感のあるこの方。どんな業績を上げてきた人なのかをチェック。こういう時、一番お手軽な方法はやはりWikipediaです。
生まれは1964年生まれということはほぼ同世代。
さてその経歴ですが・・・
1989年4月 - 東京医科歯科大学医学部保健衛生学科看護学専攻入学
1993年3月 - 東京医科歯科大学医学部保健衛生学科看護学専攻卒業、同年看護師の資格を取得
1995年 - 東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科総合保健看護学専攻博士前期課程修了、修士号(保健)]取得
修士論文の題目は「健康診断における異常所見の評価とその予後に関する考察〜超音波エコーによる胆のうポリープの自然経過の検討」
1995年〜1999年 - 財団法人医療経済研究機構主任研究員・調査部長、ハーバード大学メディカルスクール・マサチューセッツ総合病院客員研究員
1997年 - 東京医科歯科大学医学部保健衛生学科非常勤講師(国際看護保険学、健康情報データベースと統計分析など担当)(2009年迄)
1999年8月 - 東京大学先端科学技術研究センター研究員(知的財産権大部門)(非常勤)
1999年11月〜2000年1月 - マサチューセッツ総合病院胃腸科客員研究員
2000年10月 - 東京大学先端科学技術研究センター客員助教授(非常勤)
2002年4月[3] - 東京大学先端科学技術研究センター特任助教授(次世代的知的財産戦略研究ユニット、先端医療システム研究)(常勤)
2006年 - 東京大学先端科学技術研究センター特任教授(システム生物医学)(非常勤)
2007年9月 - 東京大学大学院より、博士号(学術)取得。
博士論文題目は「ファーマコゲノミクス利用の難治性C型慢性肝炎治療の最適化」。主査は児玉龍彦東京大学先端科学技術研究センター教授。
2010年 東京大学医学部附属病院客員研究員、東京大学先端科学技術研究センター交流研究員(無給)
2012年3月〜8月 - 東京大学医学部附属病院形成外科・美容外科技術補佐員(非常勤)
2012年9月〜現在 - 同病院同科で有期契約の特任研究員(常勤)として所属、研究テーマは「過冷却(細胞)臓器凍結保存技術開発の補助」
2012年10月 - iPS細胞を使った世界初の心筋移植手術を実施したと発表

 まずは、この方「看護師」さんで臨床には出ずにそのまま修士に行かれたようです。しかしそもそも1989年というと25歳になる年で大学入学ということは、その前は何してたんでしょ?同年代の方が現役で医学部に入るとちょうど国試が終わって医師になるという学年です。医学部にはこのくらいの年齢での入学はいますが、看護学部ではめずらしいんじゃないかな・・・
 その看護学修士が終わってすぐに「医療経済研究機構」の研究部長になれるというのがなんかよくわからん感じです。さらにはその5年後には 東京大学先端科学技術研究センター客員助教授、翌年には特任教授とは。(非常勤の特任教授というのもよくわかりませんが。。。)そしてさらに?マークが爆発するのが、その特任教授になった後で博士号を取得しているということ。ポスドクってなかなかポストがなくて大変なのが今の日本の研究者たちが苦労していることの一つなのですが、ポスドクどころか、ドクター(博士)になる前に特任教授になる道があるとは知りませんでした。しかしその特任教授以後は厳しいみたいで、無給の研究員となられたようです。その後の経歴は、きちんとした研究室を主宰していたようには見えませんが、どうやって莫大な研究費がかかる細胞培養を行なっておられたのか不明です。
もともとは医療経済学、その後は知的財産関連で仕事をしておられたみたいですが、いつどこでiPSを研究していたかもわからないこの経歴。「東京大学」という言葉の響きに読売さんはやられてしまったのでしょうか・・・

是非、この東大先端科学技術研究センターのコメントというのも聴いてみたいものですなあ・・・