今週末は島根県合唱コンクール

毎年、夏に合唱の追っかけをするようになって5年目。今週末は、県合唱コンクールを聴きに益田まで行く予定。
一昨年まではお兄ちゃんの、昨年はお兄ちゃん(高校)と弟(中学)、そして今年は弟のみとなりました。お兄ちゃんの大学の合唱も聴きに行きたかったのですが、広島の合唱コンクールも同じ日に開催されるということなので断念。中国コンクールで聴かせてもらおうと思います。

島根大学教育学部附属中学校コーラス部は、今年も松下耕委嘱作品。一昨年、昨年と同様、茨木のり子さんの詩です。
楽譜を見る限り(まだ一回も聴いていない・・・)、これはかなりの難曲。6分以上ある長い曲なので、Nコンの自由曲としては、歌うことができず、今度の島根県合唱コンクールが初演となります。練習の絶対量が不足している中、これはかなり厳しいとも言えますが、子供たちの爆発力にちょっと期待しているところです。
今年の曲「水の星」は、昨年の「苦しみの日々 哀しみの日々」のようなわかりやすいメッセージ性はありませんが、現代の日本や世界各国が争ったり、騒いでいるしょうもないことに対する批判というか、この宇宙に地球が存在していることへの感動というか、そういうもっと大きな視点を持とうという大きな意味が込められているのかな、、、などと思いつつ、3日後の本番でこの曲がどんなふうに演奏されるかを楽しみにしているところです。

 水の星      茨木のり子

宇宙の漆黒の闇のなかを
ひっそりまわる水の星
まわりには仲間もなく親戚もなく
まるで孤独な星なんだ


生まれてこのかた
なにに一番驚いたかと言えば
水一滴もこぼさずに廻る地球を
外からパチリと写した一枚の写真


こういうところに棲んでいましたか
これを見なかった昔のひととは
線引きできるほどの意識の差が出てくる筈なのに
みんなわりあいぼんやりしている


太陽からの距離がほどほどで
それで水がたっぷりと渦まくのであるらしい
中は火の玉だっていうのに
ありえない不思議 蒼い星


すさまじい洪水の記憶が残り
ノアの箱舟の伝説が生まれたのだろうけれど
善良な者たちだけが選ばれて積まれた船であったのに
子子孫孫のていたらくを見れば この言い伝えもいたって怪しい


軌道を逸れることもなく いまだ死の星にもならず
いのちの豊饒を抱えながら
どこかさびしげな 水の星
極小の一分子でもある人間が ゆえなくさびしいのもあたりまえで


あたりまえすぎることは言わないほうがいいのでしょう