あらためて電子小物について考えてみると・・・

僕がいわゆるPDAの世界に足を突っ込むきっかけとなったのは間違いなくNewtonです。そもそもこのPDAという言葉そのもの(Personal Digital Assistant)がAppleがNewtonを発表したときに唱えた概念(あの時のCEOはジョブズを追い出したジョン・スカリー)。当時Mac関連雑誌全盛期で、MacWorldExpoも毎年開かれていた時代でした。
イケショップが発売したOMPセット(NewtonにUniFEPという日本語入力システムの入ったメモリーカードが同梱されたセット)でこの世界に入り込みました。

しかし、この機械重いのです。さらに動作もいろいろ未来を感じさせてくれるのですが・・・のろい・・・予定ひとつ入れるにも一苦労みたいな機械だったので、単に見せびらかすためだけの機械でした。その後出たNewton130も購入しました。(これもやはり見せびらかし専用っぽい感じ)

そうこうしているとPalmPilotが発売され、日本語化もできるということで個人輸入。しばらくはこいつがポッケの中にいました。毎日何か新しいことができるようになるといった感じの時代でした。Palm機はこの他にTRGproも。

その頃、雑誌にIBMの超小型WindowsマシンPalm Top PC110が売れ行きがイマイチだったせいか、日本橋のあちらこちらで安売りされるようになり、とりあえず買わないわけにはいかないということでゲット(全部で4台)。これが僕の購入した初めてのDOS/V, Windows機。その頃ハマっていたNifty-serveにもこの機械で接続していました。

Windows95はどうみてもMac劣化コピーとしか思えず、その動作の重さもあり、時代と逆行するようにDOSの世界へ。このIBM PC110はウルトラマンPCというネーミングの通りというか(まあウルトラマンの3分ということはないですが)バッテリ持続時間におもいっきり難点があってバッテリのみで暮らしていくのはかなり無理があったのですが、ビデオカメラのバッテリと互換性があってビデオの充電器で予備のバッテリを充電して持ち歩くなんていうことをしていました。
そんな時にふと本屋で見つけたのが「百徹本」と呼ばれたヒューレット・パッカードのHP100LXの解説書。これを読んで、さらにはNiftyのフォーラムを読みあさり、バッチファイルとかそういうものにはまり込み、さらにはクリスタル交換での倍速化、爆速化なんていうことにまで手を出し、内蔵メモリーを4MBから20MBに増量したりとか、PHSカードで通信環境を作ってNiftyを巡回したり、Vzエディター&ATOKで症状詳記(診療報酬が高くなったときの言い訳を書いてレセプトにくっつけて出す)を書いたり、なんてことをしていました。(LXだけでこれも4台)

HP200LXの生産中止とNiftyの衰退とInternetの普及でWindowsCEの世界へ。HP Jornadaでしばらくは過ごしていましたが、いろいろギミックが多いこともあり(特にPCカード周り)白衣のポケットに入れて持ち歩くというハードな使用環境に耐えられず、3台がオシャカになってしまいました。

Toshibaのリブレットなんていう機械も出てきましたね。これもバッテリの持ちの関係でなかなかHP200LXでしていた仕事を置き換えることができませんでした。とくにいつでも取り出してすぐにデータを入力して・・・という面での問題があったので飛びついたのがZaurus。タテ型になってスライドしてくる豆粒のようなキーボードのついた機種MI-E1、その後ジャンクのところにあったアイクルーズというVGA液晶の機械を購入したり、リナザウSL-C700にはまってみたり、先祖返りしてパワーザウルス(反射型カラー液晶に興味があった)・・・(もうこのあたりはただのコレクション状態かも・・・)。


その後DellAxim X51vでWindowsMobileに手を出し、これを快適に使えるようにWidowsマシンを自作(本末転倒)したりもしました。
その後訪れたW-zero3から始まるスマートフォン騒ぎに対応して?、W-zero3シリーズが3機種、Treo、X-01HT、NokiaのE51(X01NK)とスマートフォンの各種OSを制覇?してきました。



そしてiPhone3G、iPhone4

今のiPhoneに至るこの電子小物たち。全部合わせると・・・考えない方が良いかもしれません。