病院で死ねば、それは全て医療ミスなのか。

 人はいろんな理由で死ぬのです。想像の範囲内でお亡くなりになることもあれば、想像を絶する理由で亡くなることもあります。それをすこしでも解明するためにいろんなことが行われます。
 上位胎盤早期剥離でお亡くなりになった静岡の症例、ちょうど奈良の大淀病院裁判のニュースと重なる形で出てきました。今回の症例についても詳細な経過に関する情報がネットに出てきています。(それも遺族側関係者と称する方から詳細な経過が・・・)
 奈良の事例(あくまで「事件」ではないという気持ち)に関して「真実が知りたい」とその家族は言われます。本当に「真実が知りたい」のであれば、「裁判」ではなにも明らかにならないというのが実際でしょう。決して「真実」の究明は裁判所の仕事ではないのです。それは先日の「光市母子殺人事件」を見ていても福島大野病院裁判を見ていてもそうです。裁判は「言葉遊び」の場所であり、どちらが相手を言い負かすことができたか、世論がどう思っているか、などでその結果は常に変わり続けるような所なわけです。少なくとも「科学的」に事実を究明したいのであれば、彼等がやっているような「裁判」という方法ではなく、全ての事実を「産婦人科」の専門医による症例検討会にかけるべきでしょう。
 少なくとも、高校時代に理科や数学ができなくて文系にすすんだ法学部系の人に「真実」を決定されるというよりはるかに「真実」に近づけるはず。